
親子の条件とは一体何でしょうか?
虐待や育児放棄のニュースが絶えない昨今、血の繋がりだけが親子の条件ではないとは既におわかりだと思います
今回は映画もヒットした角田光代の傑作小説、「八日目の蝉」をご紹介します。
「八日目の蝉」あらすじ
会社員・秋山丈博と妻の恵津子の留守中、生まれてまもない夫妻の娘が誘拐される事件が発生。
犯人は丈博の元不倫相手、希和子でした。
希和子は長い間丈博と交際しており、彼との間にできた子を堕ろした事で妊娠できない体になっていました。
そんな矢先に恵津子の妊娠が発覚、丈博は希和子と別れて家庭に戻っていきます。
「あんたなんかからっぽのがらんどうだ」と恵津子に罵られた希和子は、自分が産めなかった赤ん坊を一目見たいと思い、二人の留守を見計らって家に忍び込んだのです。
ベビーベッドに残された赤ん坊を抱いた瞬間、希和子は名伏しがたい衝動に駆り立てられその子を誘拐。自分の子として育てようと決意しました。
恵理菜改め薫と名付けられた娘は希和子を実の母親と思い込んですくすく育っていきます。
一方で希和子は警察の影に怯え、幼い薫を連れて逃げ回りました。
やがて希和子は行くあてのない女たちの共同体、エンジェルホームの門を叩くのですが……。
逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。偽りの母子の先が見えない逃亡生活、そしてその後のふたりに光はきざすのか。心ゆさぶるラストまで息もつがせぬ傑作長編。第二回中央公論文芸賞受賞作
(「BOOK」データベースより)
著者 角田光代 出版社 中央公論新社 発売日 2011年1月22日
「八日目の蝉」ネタバレ感想
角田光代「八日目の蝉」は映画もヒットした感動的なヒューマンドラマです。
本作は希和子と薫(恵理菜)、母と娘二人の視点で綴られてました。
希和子が犯した嬰児誘拐の罪は到底許されざるものです。にもかかわらず、読者は希和子への同情を禁じ得ません。
一度は授かった我が子をその父親の頼みで堕ろした希和子。結果不妊症になり、男は妻のもとへ帰っていきます。
もし自分が希和子の立場だったら、誘拐よりもっと過激な行動にでていたかもしれません。
希和子がどんなにか愛情をもって薫を育てたか、本作を読めば痛いほど伝わってきます。薫もまた母親の愛情にこたえて健やかに育ち、希和子の心の支えとなります。
一方で希和子は常に捕まるかもしれない予感に怯え、薫を取り上げられる恐怖に慄いていました。
希和子の苦しみや哀しみが丁寧に描写されるので肩入れしたくもなりますが、本作は彼女の行為を正当化する欺瞞を許しません。
大事な娘を奪われた丈博と恵津子の絶望もきちんと描写することで、どちらか片方を悪者に仕立てず、両者の心情を掘り下げたヒューマンドラマを成り立たせています。
「八日目の蝉」のタイトルの意味を知った時は涙が止まりませんでした。
「八日目の蝉」見どころ
「八日目の蝉」ひょっとしたら映画を先に見た方もいるかもしれませんね。
本作は母性とは何か、親子とは何かを今一度問い直す小説です。
新しい命を授かったからといって、それだけでは親にはなれません。親足り得る覚悟は、子どもを育てる中で自然と備わっていくものです。
成長した薫(恵理菜)は二人の母親の間で悩み続け、自らもまた親になる葛藤に苛まれました。
ですが産みの母と育ての母、どちらか一人を選ぶ必要はないのです。
どちらも確かに娘を想っており、その愛情は甲乙付け難いのだと最終的に気付いた薫(恵理菜)は、自らも親になる決断を下しました。
本作で私がもっとも涙したのは希和子と薫(恵理菜)の別れのシーンです。
最愛の娘と引き離される際に希和子が放った叫びは、どこにでもいる一人の母親のものでした。
希和子の行為によって人生を狂わされた薫(恵理菜)、日常を壊された丈博と恵津子は被害者です。
しかし過去の延長線上に現在があり、さらには現在が未来に続いていることは否定できません。
薫(恵理菜)が二人の母親への想いを見直して歩き出したように、彼女たち家族もきっと再生できると信じたいです。